雨が降っていた。
激しい、強い、だけどどこか寂しそうな雨。

ザーザー。大きな雨粒たちは忙しく屋根や地面を叩きつける。ザーザー。静かな私の部屋にこの雨音はよく響いた。うるさくて手元の資料に集中できない。ザーザー。ふっと、あの人が頭をよぎる。…集中出来ないのは、雨音のせいじゃないのかもしれない。考えるのが怖くて、私は必死でその影を追い出す。大丈夫、大丈夫、大丈夫。何度も自分に言い聞かせた。大丈夫、だよね?


―ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴っている。私は基本的に家を留守にすることが多いし、そもそも私の家は街の外れにあるから、誰かが此処を訪れることなんて滅多にない。その音を聞いたのも随分と久しぶりだった気がする。それなのに、こんな大雨の日にお客さんだなんて。一体誰だろう。

ガチャリ。扉を開いてその姿が見えた瞬間、背中が凍りついた。


「ねーねー、お前さぁ、一体どういうつもり?」


彼はびしょ濡れだった。髪からぽたぽたと雫が落ちて、身に纏っているものは全て彼の肌に張り付いて、自慢のティアラも輝いてなどいなくて、その姿はとても王子には見えなかった。今の私が集中できない原因。さっき頭に浮かんだ張本人。目の前にいる彼――ベルフェゴール。


「…何の話?」
「うっわ、とぼけてやんの。あいつがお前に伝言頼んだって言ってたんですけどー。」


ゾクリ、と、その言葉に寒気が走る。
やっぱり彼がこんな姿になってしまったのは、全て私のせいだった。




“今日用事ができて行けなくなっちゃったんだ、ごめんね。”

――あの子にそう言われた。ベルに伝えておいて欲しいの、よろしくね、と。


今日は久しぶりの休日だから、きっとデートの約束でもしていたんだろう。でも、私はそれをベルに伝えなかった。言う機会はいくらでもあった。ベルが鼻歌を歌い、仕事が終わるのを楽しみにしていたのも知っていた。あの子にも「わかったよ」って笑顔で頷いたのに、言わなかった。

だからきっとベルは待ち続けていたんだ。彼女が来ないことも知らずに、彼女の姿を探して、そして突然の大雨に打たれて、こんな姿になってしまった。それから彼女と連絡がとれて、あの子が私に伝言をしていたことを知り、こうして雨の中はるばるやってきてくれた、ってことか。初めてのベルの訪問だけど、これでは喜べそうにない。


「伝言頼まれて伝えないなんて、随分性格悪くなったじゃん。」


ベルは冷たく言い放つ。そして「前はもっと素直ないい子だったのに」なんて皮肉を笑顔で加えた。私をそうさせたのはベルフェゴール、あなたじゃない。私だってあの子の伝言じゃなかったら、あんな伝言じゃなかったら、急いであなたの所まで伝えに行っていた。貴方と話す口実が出来たって、喜んで貴方の所まで飛んでいっていた。だけど、私がそうしなかったのは、そう思えなかったのは、どうしてだと思う?…そんなこと、あなたはには関係ないし、興味もないことか。

だけど私だってこんなことがしたかったわけじゃない。確かに私が考えたことは醜く愚かだったけど、きっとベルは待ちぼうけなんて耐えられないだろうから、彼女が来なければ十五分も経たないうちに帰ると思っていたし、こんな天気になることだって知らなかった。全てが私の予想外だったのだ。ベルが何時間も彼女を待ったことも、雨が降ったことも、ベルが彼女をどれだけ深く愛しているかも。


「最近ずっと思ってたんだけどさ、お前、何がしたいの?」


そんなの、私が一番知りたい。私は何がしたいんだろう。ベルフェゴールに好かれたい?それならきちんと彼に彼女の言葉を伝えるべきだったし、今だって素直に謝ってタオルの一つでも渡せばいいんだろう。だけど私はそんなことをするどころか、ざまあみろ、なんて心で笑ってる。私がベルフェゴールを愛しているのは確かな真実で、今私にわかることはそれぐらいしかなくて、だけどそんな事はもちろん言えなくて。だから私は何も言えずに黙り込む。時間が経てば経つ程にベルが苛立っていくのがわかったけれど、自分がどうしたいのかが全く見えないから、答えることも出来なかった。


「まあ別にどうでもいいけど、お前のことなんか」


ナイフで胸をえぐられた様な気分だった。ベルの武器であるあのナイフが、本当に胸に飛び込んできたんじゃないかと思うくらい、胸が痛かった。ああ、こんなことになるのなら、あんな馬鹿なことしなければよかった。でも、今更後悔したって遅い。


「もう俺お前のこと信じられないや、じゃあね。」


ベルは最後に特別鋭利なナイフを投げて、そのまま雨の中に消えていった。いつの間にか雨は強まり霧も濃くなっていたから、すぐに彼の姿は見えなくなった。私は追いかける事も、「ごめんなさい」を言う事も出来ずに、ただその場に突っ立っていた。不思議と涙は出なかった。いつかこうなる日がやってくると、自分でもわかっていたのかもしれない。だけど私はそんなものからも全部逃げ続けていた、逃げられないってわかっていても後ろを向いていた。だってそれでもベルのそばに居たかったから。でも、もう、無理だね。きっとそれすらも、許されなくなってしまうんだろうね。


なんだかティンカーベルになったみたいだ。ずっとピーターパンのそばで、ピーターパンを愛したティンカーベル。だけどピーターパンが大切に想うのは自分じゃない他の女の子、ウェンディ。ティンカーベルは嫉妬して、ウェンディに意地悪をする。だけど結局空周り。ねぇ、ベル、知ってる?ティンカーベルはその存在を信じてもらえないと、飛べなくなっちゃうんだよ。元気をなくして死にそうになるんだよ。私はもう飛べない。ベルに信じてもらえなくなって、飛べるわけがない。

だけど私はそんなティンカーベルさえも羨ましく思うのだ。だってティンクには私にないものがある。
大好きな貴方の二文字を、持っているから。



飛 べ な い テ ィ ン カ ー ベ ル



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