★ミ 瞬きにアステル



もう随分と遅くなった放課後の応接室で、僕は窓際に立ち空を眺めていた。日が落ちた外はすっかり暗くなり、ぽつぽつと光る街灯がやけに目立っている。ふと時計を見ると、とっくに七時を回っていた。もうこんな時間だったのか。最近、毎日が過ぎていくのがとても早く感じる。時はあっという間に巡る。全てが慌しく過ぎてゆく。僕は時間の感覚も日付の感覚も、全てなくなっていた。


「ねえ草壁、今日は何日?」
「七月七日です。委員長」
「…七月七日?」
「はい。ああそういえば、今日って七夕ですね」


…今日は、七夕、か。


僕はまたじっと空を見つめる。今日は生憎の曇り空で、天の川なんて見える気配もなく、星のひとつだって見えやしない。そんな夜空にふっと浮かんだのは、なつかしい、君の顔だったんだ。ねえ、七夕がくると、いつも思い出すよ。君のことばかり考えて胸を焦がしたあの日々を、君の涙とともに輝くあの星空を、毎日が君でいっぱいだったあのあつい夏を。








君との出会いは、偶然だった。小学六年生。たまたま僕と同じクラスになって、たまたま僕の隣の席になったのが君、だった。他の子達と何が違ったのかはわからない。どこに惹かれたのかはわからない。ただ気がつけば視線が君を追い、気がつけば君のことを考え、話がしたいとか、たまに見せる明るい笑顔がみたいとか、色んなのことを思うようになっていたんだ。あの頃僕はまだ小学生で、君ももちろん小学生で、好きとか嫌いとか、恋とか愛とか、まだよくわからなかったけど、あの頃の僕は、ただ君に夢中だった。


そんな毎日を送っていたある日、学校行事で天体観測が行われた。七月七日、七夕の日。みんなで学校に泊まりこんで、遠い遠い空に光る無数の星たちを、みんなで親睦を深めながら、観察するというものだった。みんなとても楽しみにしていたようだったけど、僕は正直どうでもよかった。星にも皆にも、少しも興味を持てなかったから。支度をしている時は気が重く、学校に向かう時は足取りが重かった。こんなくだらない行事、早く終わればいいのにって思ってた。当日、僕が何より誰より興味を持つ君が、僕の隣に座るまでは。

みんなの群れから少し離れたところで座り込んでいた僕の隣に、突然君はやってきて、そこから少しだけ離れた場所にゆっくりと腰を下ろした。近いようで遠いこの距離がもどかしかった。何でもないって顔をしていた。だけど本当は、すごく、すごく、ドキドキしてた。


「ねえ雲雀くん。織姫と彦星って、すごいね」


風になびいた髪をかきあげながら、星空を見上げた君の、心地の良い声がそう言った。


「すごいって、何が?」
「だって一年に一度しか会えないんだよ。そんな悲しい運命に耐えてる」
「…それってそこまで悲しいこと?」
「悲しいよ。大好きな人と離れ離れは…かなしい」


そう言って更に上を向いた君は、唇をかみ締め、必死で何かをこらえていた。夜空がきらりと煌くと、君の瞳もきらりと瞬く。ああ、そうか。ないている、んだ。君がないている。その瞬間、僕の心に焦りが生まれた。泣いていることがわかっても、それがどうしてなのかは僕にはわからないし、わかったところでどうすれば君の涙を止まるのかなんてわからない。だけどそんな君を放っておくことだって、出来るはずがなかった。そして僕は何も言わずに、ぎゅっと、君の手を握った。君はびっくりして一度手をびくっと震わせたけれど、すぐに手を握り返してくれた。ぎゅっと、ぎゅっと、強くなる。僕らの手が、かたく結ばれる。


「離れ離れは悲しい運命かもしれない」
「……うん」
「だけど今日二人は会える。だから今は悲しくなんかない」
「…うん、そうだね……ありがとう」


掌に君を感じながら、僕も空を見上げてみた。
その時僕は、さっきまで全く興味を持てなかった夜空に散らばる星たちを、美しいと思った。




君との別れは、突然だった。まだ君の手の感触が離れていない天体観測の翌日。君が、遠くの街へ行ってしまうということを知った。信じられなかった。嘘であって欲しいと心の底から願った。「今まで楽しかったです、みんなありがとう」って、教卓の前で切なく笑っている君を、幻だと思いたかった。だけどそれは嘘でも幻でもなかったんだ。信じるしか、なかったんだ。

奪ってしまいたかった。涙を浮かべたクラスメイトたちの真ん中にいる君の手をまた握って、教室から連れ去ってしまいたかった。だけど僕はただ突っ立って、君を見ていることしか、出来なかった。ねぇ、早く気付いてよ。目を合わせて、こっちに走ってきてよ。君に訊きたいことが、たくさん、あるのに。


何で昨日僕の隣に座った?
あの言葉の意味は何?
涙の理由は何?
君が悲しむ理由は何?
離れ離れになる大好きな人は、誰――?


一つも答えをもらえないまま、君は、僕の前から、いなくなった。


ねぇ、君は、織姫と彦星はすごいってそう言ったよね。だけど二人は別に何もすごくなんかなかったんだ。だって例え一年に一度でも、二人には会える保障があった。一年に一度でも、会える。もう二度と会えない、僕と君とは違う。そっちの方がずっと、悲しい運命と呼ぶに相応しいじゃないか。


「 ありがとう 」


ついこの間まで僕のすぐそばにあった、星のような涙が、繋がった手から伝わる温もりが、涙をこらえる不器用なかおが、僕の頭から、体から、心から、離れなかった。最後に君からもらった言葉が、ずっと響いていた。








時間は、あっという間に、巡る。

あの日を最後に、もう君には会っていない。今頃何してるんだろう。元気に笑っているだろうか。誰かとこうやって、空を見上げているのだろうか。もしかしたら君の上には、綺麗な星空が広がっているのかもしれない。その時は、僕を思い出してくれているといい。僕の心に今も君がいるように、少しでも君の心にも僕がいてくれたらいい。


今はまだ、君以上の相手には出会えていないけれど。
いつかまた、この初恋のように、君を好きになったように、深く、強く、やさしく、誰かを愛せたらいい。



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