もう、とっくに終わった恋だった。

冬の屋上の寒さは格別だ。びゅうびゅうと叩きつけるように吹く北風は、寒いというより、痛い。
楽しい楽しいお昼休みの時間に、こんなところに一人で突っ立って、我ながら何してるんだと思う。わからない。なんにもわからない。あの日のあの瞬間から、もうずっとあたまがぐちゃぐちゃで、胸が痛くて、宛てもなく悲しくて、どうすればこの苦しみから抜け出せるのか、どうすればちゃんと笑えるのか、それまで当たり前にできていたはずの平凡な毎日の送り方さえも、今の私にはわからないのだ。

いきぐるしい。でもわかんない。どうすればいいの。





まっさらな静寂のなかに、その声はとてもよく響いた。








もう、とっくに終わった恋だって、思ってた。


「なーー」
「んー?」
「おれ、彼女できてん」


その事実が告げられたのは、数日前の帰り道のことだった。彼らしくない、もじもじとした小さな声だった。
頭が真っ白になる、ってきっとああいうことを指すんだと思う。すうっと、自分の中が空っぽになっていく感覚は、とても気持ちが悪くて、怖くて、つらかった。そうしてその突然の告白になんという言葉を返したんだったか、それから謙也がどんな幸せな馴れ初めを聞かせてくれたんだったか、私ははっきりと思い出すことが出来ない。その時の私には、いきなりずしりと重みを増したような気がする自転車のペダルを漕ぐだけで精一杯だった。この痛みは一体なに。そう思いながらも、本当はちゃんとわかっていた。隣で照れながらも愛おしそうに彼女のことを話す謙也を見ながら、次々と溢れてくるこの気持ちを、もう、知らんぷりすることはできそうになかった。

友達としてしか見られていないって、恋愛対象になんてなれっこないって、そんなこと自分が一番よくわかってた。だから、これからも一緒にはしゃいで、笑って、楽しく過ごせたらいいやって、そういう関係でいいって、思っていたはずなのに。もうとっくに終わった恋だった、はずなのに。

ばかだ。みじめだ。認めたくない。でももう、無理だ。


「おめでとう、謙也」


私やっぱり、謙也のことが好きなんだ。








自分の気持ちに気付いたからといって、私の毎日に変化はない。みんなと、謙也と、馬鹿騒ぎする、いつも通りの日常が繰り返されるだけだった。平気なふりをするのは得意だった。きっとうまく笑えていた。ただずっと、心臓のあたりが締め付けられるみたいに痛かった。

そして、今日の昼休み。
隣のクラスからやってきたあの子を、とびきりの笑顔で迎えたあなたを、二人の幸せそうな姿を目の前にしたら、私はいよいよ我慢できなくなって、私は教室を飛び出し、屋上へと逃げ込んだ。あのふたりのあたたかさに触れているくらいなら、寒空の下で凍えているほうがずっとよかった。締め付けられるような胸の痛みを感じているくらいなら、突き刺すような北風の攻撃に耐えているほうが、ずっとずっとましだったのだ。

それなのに。


「謙也…?」
「うわっさっぶ!何でこんなとこおんねん!あほか!」


絶対に開くことはないと思っていた屋上のドアが開かれた。そして、ありえない声が私を呼んだ。信じられない。でも、今まさに思い描いていたその人を間違えるはずがない。大きなからだを縮こまらせて、私の方へずかずかと近づいてくるその人は、間違いなく謙也だった。


「謙也こそ何してるん?何でおるん?」
「そんなもんお前追いかけてきたに決まってるやろ!ていうかホンマ寒い!無理!死ぬ!凍死する!」
「追いかけてきたって、なんで?」


なんでここにいるの。可愛いあの子はどうしたの。なんでわたしなんかを追いかけてくれたの。
なんで、なんで、


「だって、最近の、ずっと泣きそうな顔してる」


なんで、あんただけが気付いちゃうの、ばか。
ずるい。私をかなしみのどん底に突き落とすのも、そこに救いの言葉をかけてくれるのも、ぜんぶぜんぶこのひとなのだ。優しく手を差し伸べてくれたって、その手をとって隣を歩かせてはくれないのに。この痛みを、癒してはくれないのに。


「何があってん」
「…なんもない」
「うそつけ。俺の目はごまかせへんねん。」
「なんもないもん。だって、いくら考えてもいっしょやもん。答えなんか、もう出てる。」


―もう、とっくに、終わった恋だった。
だけど違った。気付いてしまった。いまさらどうすることもできない、行くあてのない、この気持ちに。


「なにが正しいか、どうすればいいか、ちゃんとわかってる。やから大丈夫やねん。何も、ないねん。」


だからなかったことにする。見えないようにふたをして、ぎゅうぎゅうに抑えつけて、いっそ潰れちゃえばいい、そのまま消えてなくなっちゃえばいい。これまで信じてきたとおり、わたしとあなたは仲の良い友達。それでいい。それだけで、いい。


「あほやなあ」


謙也の大きな手が伸びてきて、私の頭をぐしゃぐしゃとかきまわす。
―わかってるのに、答えはでてるのに、無理にでも前に進まなきゃって思うのに。


「頭でわかってても、気持ちがついていってへんねやろ。」


ああ、そのとおりだ。
全然だめなんだよ。謙也を一目見たら、声を聴いたら、触れてしまったら、一生懸命築き上げた理屈なんて、全部吹っ飛んじゃう。それだけでいい、なんてうそだ。追いかけてきてくれたことが嬉しかった。泣きたい気持ちに気付いてくれたことが嬉しかった。どうすることもできないってわかっていながら、それでも、どうにかなればいいって、もっと、ずっと、私のことを見ていてほしいって、―…謙也が欲しい、って、そう、願ってしまった。

ねえ、ずるいよ。私をかなしみのどん底に突き落とすのも、そこに救いの言葉をかけてくれるのも、


「ゆっくりでええねん。の心が大丈夫やって言うまでは、そのままでおったらええねん。」


そして、だめだめな私を許してしまうのもまた、このひとなのだ。悔しい。敵わない。


「…スピード第一の浪速のスピードスターさんから、そんなお言葉を頂けるなんて」
「おっまえ!人がせっかく励ましてやってるっちゅーのに!」
「ふふっ、うん、うん。わかってる。ありがとう、けんや」


泣きそうな顔はぐしゃぐしゃに乱された髪で隠して、持ちうるすべてのエネルギーでなんとか笑顔に変えて、謙也に向ける。それだけでいい、はうそだけど、それさえもなくしてしまう勇気なんてあるはずもなかった。
だからこれからも私の毎日に変化はない。みんなと、謙也と、馬鹿騒ぎする、いつも通りの日常を繰り返す。

…でも、この痛みが消えてなくなるまで、大丈夫っていえるようになるまで、好きでいてもいい?
そんな問いかけすら、あなたに届くことはないけれど。



「ほら、戻ろう。授業始まっちゃう!」
そういってわたしは振り返って、謙也の一歩先を歩く。
とうとう頬を流れだした一筋の涙が、あなたに見られてしまわないように。






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