星 の 下 の 逃 避 行 がたん、ごとん。僕を乗せて電車が揺れる。終点は誰も知らない。ただ遠くへ。どこか、遠くへ。 色んなことを考えていた。考えたら考えた分だけ、どんどん視界がぼやけていった。たくさんの涙の筋を頬に感じる。でも、これを誰かに見られることもなければ、誰かがこの涙を優しく拭いてくれることもないんだから、もう、どうだっていいんだ。窓の外の星空がきれいだ。このレールがあそこまで、続いていればいいのに。電車はリズムを刻んで僕を揺らす。がたん、ごとん。 「…うわっ」 その時、ぼーっと窓の外を眺めていた僕の意識が、その小さな声によって引き戻された。ふと視線をやると、さっきまで誰もいなかった車内には、いつの間にか僕と同い年くらいの女の子がひとり。どうやら躓いてしまったらしく、その子は床に派手に転んでいた。彼女は恥ずかしそうに慌てて立ち上がるとこっちを見た。視線がぶつかる。その瞳はうっすらと涙の膜を張っているように見えた。なんとなく目を離せなくて、結構長い間見つめ合っていた気がする。そんな間も、電車は揺れて、星は煌く。 「…どこに、行くの?」 声をかけられるとは思っていなかったから、僕はちょっとびっくりした。彼女は一歩一歩少しずつこちらへ歩み寄ってきて、僕の隣にゆっくりと腰をかけた。初めて聞いた彼女の声は、砂糖いっぱいのミルクティーみたいに甘ったるくて、くらくらした。僕が彼女の問いに素直に答える気になったのは、きっとその声の中毒になってしまったからかもしれない。 「どこか、遠くだよ」 「遠く?」 「うん。探しに行くんだ。誰もいない僕だけの場所。」 「たったひとりで?」 「うん。一人が、いいんだよ。…君は?」 「わたしも…同じかな」 「同じ?」 「うん。私も、自分の居場所を見つけに」 潤んだ瞳は、遠くに浮かぶ星空を掴む。この子もあの向こう側に、自分の居場所を望んでいるのだろうか。 「なんだか僕たち、似てるね」 「うん。だから声かけちゃったのかな」 「え?」 「ずっと見てたの。外を眺めて、ただ涙を流してるあなたのこと」 「うそ。いつから?」 「ずーっとだよ。やっぱり気付いてなかったんだ」 「うん、全然気付かなかった」 「私も、そんなにじっと見ているつもりはなかったんだ。話しかける気だって全然なかった。でも、その姿があんまり綺麗だったから、ついつい目が離せなくって。だんだん、知りたくなったの。なんか、うん、いろんなこと」 おかしいよね、変なこと言ってごめんねって、彼女は小さく笑った。確かにおかしな子だと思った。いつもの僕ならこんな時、変なのって笑って、適当に流して、適当にやり過ごしていたと思う。だけどこの子は、僕をまっすぐ見てくれていた。輝く瞳は、甘い声は、ただ一人僕だけに向けられていて、彼女は僕に手を伸ばしていた。それだけで十分だった。たったそれだけのことが、その時の僕には、泣きたくなるくらい温かかったのだ。「寂しいんだ。」甘えたくて、支えて欲しくて、自分の心の中にあるぐちゃぐちゃの気持ちは、とうとう僕の口から溢れ出した。 「どこに行っても不安定で」 「うん」 「ぐらぐらして、立っていられなくて」 「うん」 「だって、僕がいなくても、何も変わらないんだ」 「…うん」 「僕がいなくても、世界は回るんだもん」 電車が鈍い音で鳴く。がたん、ごとん。こいつだって、僕を乗せていたっていなくたって何も変わらないのだ。今と全く同じように、誰かを揺らしながら、どこか遠くへ走り続けていくだけ。がたん、ごとん。 「じゃあ今は、わたしがあなたの居場所になる」 「…僕の、居場所?」 「うん。そうすれば今、あなたの居場所はちゃんとここにあるよ。 だからあなたも、私の居場所になってくれる?私の世界を回してくれる?」 これで今夜は、きっと寂しくないよ。そういって彼女は優しく微笑んだ。また目頭が熱くなって、僕の頬にまたひとつ、涙の筋が増えていく。彼女は何も言わずに笑ったまま、僕の手を握って、僕の肩にもたれかかった。ああ、わかった。彼女の笑い方は、すぅちゃんに似ている。彼女の話し方は、珠美ちゃんに似ている。だからだ。だからこんなにも気を許してしまうんだ。だからこんなにも心が安らぐんだ。だからこんなにも、すがりつきたくなるんだ。 「…居場所」 「ん?」 「見つかるかな」 「見つかるよ」 「ほんと?」 「うん。一緒に見つけよう」 星空がきれいだ。僕はまたぼーっと窓の外を眺めた。手のひらに彼女の温もりを、肩に彼女の重みを感じながら。溶けてしまいたかった。あの濃紺の闇の中へ、消えてしまいたかった。だけど今僕は、光りたいと思った。彼女の隣で確かに僕は、闇に灯る光になりたいと、思ったんだ。 翌朝目を覚ますと、もうそこに彼女はいなかった。朝日に目が眩む。その景色は昨日とはあまりに違いすぎていて、全部夢だったみたいに感じる。だけど確かに電車は二人ぼっちの僕らをを揺らしていたし、降るような星空はそこにあった。昨夜僕の居場所は、確かに、ここにあったのだ。電車は僕だけを乗せて進む。がたん、ごとん。眩しい太陽の向こう側に、僕が本当に望む終点が、見えたような気がした。 |